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声種について |
声楽では、歌手の声をバス・テノール・アルト・ソプラノなどの声種に分類しています。
吟詠では声種は本数で分類しています。
フースラーは、声種とは各人の喉頭をはじめ発声に関わるすべての身体的個性から必然に決まる音域と音色のことであり、人間ひとりひとり骨格が異なるように、声種も無限に存在するものであって、それを何種類かに分類するのは、音楽にとって合理的ではあっても、そのことが発声練習において判断を誤らせる元凶ともなり得る、というような意味の文章を残しています。
フースラー「うたうこと」より
『ある声が、訓練の始めに見出される声域は、その声の属する声種を示すことは、まれにあるだけだ。・・・高いソプラノでいて、低い方はアルトよりももっと広声域をもっていることがよくある。また、アルトでいながら高音域が非常によく発達していてソプラノよりも高い声が出せることもたびたびである。男声にしてもそれと同じことが当てはまる。ある声がどの声種に属するかという決定は、疑いもなく非常にむずかしい問題だ・・・高音が足りなくても低音が足りなくても、あるいは高音が十分でも低音が十分でも、必ずしも高い声主だとか低い声種だという証拠にはならない。』
『個々の声種のあいだには、あらゆる中間形が存在する。自然は(洋楽の)作曲家のように合理的に声種を分けてはいないからである。』
その点、吟詠は半音単位ですから、声種の分け方としては声楽よりは自然に近いと言えますが、その人に自然は何本の声を与えているのかを判断することのむずかしさは変らないでしょう。
結論からいえば、その吟者の発声器官が目覚め、低音域も高音域も十分に訓練される中で、その吟者の声がもっとも魅力的に生き生きと感じられる本数をいろいろ試し、探しつづけるしかないということになるでしょう。
その為には、今の自分の本数では使わない低音域、使わない高音域も訓練すべきです。
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