歌声と語音と音楽
  非凡な歌声と平凡な歌声
  訓練に潜む危険
喉頭と声帯のしくみ
  声帯の協力筋
  喉頭懸垂筋
  練習上の注意点
発声器官のリハビリ 
虚脱したファルセット
声を当てる練習について
支えのあるファルセット
音高のコントロール
頭声によるリハビリ
胸声のトレーニング
  胸声の上限
歌う呼吸について
  声種について
練習のまとめ
A 虚脱したファルセット練習
B 支えのあるファルセット練習
C 声の融合練習
胸声の上限
声帯靭帯は交錯筋の末端によっていくつかに等分割されていて、交錯筋の末端を働かせることによって声帯靭帯の振動する長さを自在に変えることができるしくみになっています。
(音程の不安定な人は交錯筋の末端が十分に目覚めていないか、あるいはどれかの筋がまだ弱いということです。音程を正確に取る練習によってよくなります。)


たとえば、バイオリンの一番太い弦だけを弾いて音高を上げて行く場合、弦を押さえる指の位置をずらして、振動させる弦の長さを短くして行きます。この方法で音高を上げて行くと、振動させる弦の長さはどんどん短くなり、やがてその長さが非常に短くなると、耐えがたく悪い響きしか出なくなってしまいます。これと同じ物理的な現象が胸声にも起こります。


 胸声  胸声の響きは声唇の参加によって生じます
胸声とは、各人の低音域における響きをいいます。
胸声においては、声唇の参加により振動体は厚く重たい状態になっています。厚く重たい状態のまま、振動部分の長さを短くして行くと、やがて振動が起き難くなり、響きも酷くなってしまう高さに至ります。そのあたりが胸声の上限ということになります。
個人差はありますが、男女共平均して中央のミ(絶対音高e1)付近になります。
胸声の上限は換声点と呼ばれます。
女性や男性でも声の高い人は、大抵声唇の筋肉も薄くて軽いので、胸の上限は声の低い人より少しだけ高くなります。
胸声で歌える音域は声の低い人ほど広く、高い人ほど狭くなります。生れ付きソプラノの人は胸声の音域はほとんどないといえます。



バイオリンの場合、太い弦で演奏できる音高の上限が近づくと、隣の細い弦に弓を移すことで更に高音域を演素することができます。細い弦は軽いので弦が同じような張力で張られていても高い音が出るのです。
声帯では、細い弦に換える代わりに、声帯を薄くすることで同じ結果が得られます。
声帯を薄くするには、胸声の筋肉である声唇を薄く軽い形状にすればよいのです。単純には声帯内筋の力を弱めることです。


 ファルセット  ファルセットの響きは膜だけの振動から生じます
声唇の緊張を完全に解くと、声帯はぴんと張られた膜の帯のような形状に変化します
振動部分が非常に軽く薄くなるので、胸声と同じ高さを得る振動部分の長さは、胸声の時より長くて済むようになります。したがって胸声では出せない高音域を楽に歌えるのです。


胸声もファルセットも絶対音域を表しているのではなく、声の響きの質を表す言葉です。
換声点より低い音域をファルセットで歌うことも可能です。
ファルセットにおいても、音高を歌うには声帯の交錯筋末端の緊張は必要ですから、完全なサイン波にはなりません。つまり胸声の響きは非常に薄くとも残っていることになります。



下の図は、声楽における各声種の平均的な音域を示しています。
吟詠の線は、吟詠の8本と4本で基本的に使用される音域を示します。
吟詠に使用される音域の広さは、ポピュラーや歌謡曲などと大体同じです。





ここで吟詠の方、特に女性の方は胸声の上限に関して疑問を持たれるかもしれません。
上の譜面に示されるように、女性吟詠では主音(三)より上は、発声学上はファルセットで歌う音域に入るからです。また男性吟詠でも最高音域(六〜七)はファルセットの音域に入ってきます。
譜面上は胸声の上限(換声点)の上は突然ファルセットです、現実には即ファルセットに変わるわけではありません
次の譜面には換声点を中心にヴォーチェ・ディ・フィンテと呼ばれる音域が追記してあります。






ヴォーチェ・ディ・フィンテとは、ベル・カント唱法の用語ですが、「充満した胸からの声」という意味で、「ファルセットの抒情的な音質に胸声のパンチを持たせた声」をいいます。
つまり、このあたりの音域は胸声とファルセットが融合された声で歌われることを示しています。
上行時は胸声が上限に近付くほど声帯を徐々に薄く軽くし、下行時は逆に、声帯を徐々に厚くして胸声に近付ける・・・このことによって、声帯の振動の効率が一定に保たれ、響きの変化も自然になるわけです。
熟練した吟者の声を聴くと、このようになっていることが分かるはずです。
融合される音域の胸声とファルセットの響きの混合比率は吟者によって異なるのですが、「非凡な歌声」でご紹介した通り、微量な配分ができるか否かが、非凡と平凡とに分かれる要素のひとつになります。


このような声の融合が自然にできるには、発声器官全体の状態がかなり良くなければなりません。
中には発声器官のいずれかの筋肉が未開発のまま、人為的に強引に融合させている人も多く居ます。
作られた融合声は不自然で、よって感情も作られた響きになってしまいます。
発声器官に声の融合の本能を目覚めさせるリハビリ
まず、発声器官に関連するすべての筋肉をリハビリすることが重要です。
その上で、
声の融合の本能を目覚めさせるには、
胸声から発展させるのではなく、ファルセットに声唇の緊張を加えていく方法で声の融合の本能を目覚めさせるべきであって、逆の順序で練習すると大抵失敗すると、コーネリウスは述べています。


具体的なリハビリは
@声帯を強く引き伸ばしてファルセットを発声し
Aその声に胸声を入れる(声帯内筋を緊張させてファルセットに参加させる)
順序が逆にならないことが重要です。


連動運動が目覚めてくると@とAを一瞬に行うリハビリに移ります。


次には高音域から融合域を経て低音域へ下行する練習
次には低音域から融合域を経て高音域へ上行する練習

声楽における声区の考え方
歌手の歌声には音域によって変化する複数の異なる響きが存在します。
声区とは、声楽において、歌手の声域内に含まれる音域による響きの特徴を分類したもの、またその概念をいいます。
古くは、換声点を境に、胸声区とファルセット区の2声区に分けられていました。
近代に入って、胸声区・中声区・頭区(ファルセット区)など、細かく分けられるようになりました。
中声区とは胸声と頭声の中間的響きの声という意味です。
近代以降、更に細かく分割され、様々な声区の定義が生まれたようですが、コーネリウスは、『声区は、長いあいだ推測と論争の格好の対象となってきた問題ですが、いまだに理論家たちの間で、その性質や歌、原因などをめぐって、大きな見解の相違のある問題です。』と、指摘しています。


コーネリウスの指摘はもっともだと思われます。
それぞれの声区における異なる発声法を習得し、次にそれらをなるべく自然に聴こえるように繋ぎ合わせる訓練をする・・・というのは、発声器官にとっては、自然を破壊した後に再び人工的に自然を築こうとする行為でしかないでしょう。

 
参考・引用文献
うたうこと フレデリック・フースラー 著
ベル・カント唱法 コーネリウス・L・リード 著