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手記

 
   中学生の地域学習
  去る2月16日、私の母校である筒井台中学校で、地域に住む保護者・元保護者をゲストティーチャーとする学習会が行われました。
何名かのゲストティーチャーが、自分たちが関わっている仕事や生活のことなどをテーマに話をしたり、生徒さんに体験してもらったりするという授業です。テーマ毎に10名ほどのグループに分かれて学習し、それぞれがレポートをまとめ、学校で発表するそうです。

ゲストティーチャーとして私にも依頼があり、私の場合にはこちらで校外学習してもらうようお願いしました。
約2時間の予定なので、事前に先生と相談し、前半と後半に分けて2つのテーマを準備しました。
前半は、神社と地元の歴史や伝説、地震時の話、地域や神社の名称の発祥である「筒井(湧き水)」の見学、後半は、学校の文化際にも関連のあるイベントや舞台のことをお話することにしました。
   1時間目の学習
 
  実当日は良い天気で、まずほっとしました。
AM9:50、担当の上野先生と一緒に1・2年生グループが到着しました。上野先生は私の娘が中学の時、担任として大変お世話になった先生です。英語を受け持たれ、とても背が高く、明るく熱心な先生です。
はじめに生徒さんたちからご挨拶と自己紹介がありました。

私たちが住むこの地域は、明治の初め頃まではひなびた村でした。神社の森は現在の何倍もの広さがあり、昼間でも薄暗かったと聞いています。森の周囲は田畑ばかりで、民家もまばらで、南には海辺が広がり、西国街道が一文字に見えていたそうです。
西国街道に添って鉄道が開通した頃、村人は汽車が通る時刻に線路まで行って見学したというのんびりした地でした。
明治後半までは、一帯が筒井村でしたが、耕地整理によりいくつもの通りや町に分かれ、神社付近は宮本通となりました。
近代化の波が徐々にこの地にも押し寄せ、大正に入ると、神社のすぐ近く、元の関西学院大学の傍に阪急電車の神戸側終点駅が出来ました。埋め立てられた海岸地帯には神戸製鋼所や川崎製鉄などの重工業企業の工場の煙突が立ち並び、街の景色は一変します。人口は爆発的に増加し、小学校がどんどん増設されました。当時三宮はまだ中心街ではなく、この地域と、西の新開地が隆盛を極めました。しかし、昭和敗戦の後、神戸の復興は三宮を中心に進められ、賑わいは三宮へと移って行きました。
戦後のベビーブームの時期に、母校筒井台中学は創設されました。元筒井村の高台という意味で、筒井台と名付けられたのだと思います。
私が通っていた頃は、1学年8〜9クラス、各クラス40名以上でしたが、現在は少子化も伴って、1学年2〜3クラスになっています。

このような大変動を経験してきた地域なのですが、それを今の子供たちに実感せよといっても無理でしょう。ただし、彼等は小学1年か幼稚園児だった頃に、あの大震災を体験していますので、街全体の風景が一転してしまうということは、何となくイメージできるのではないでしょうか。
   
  さて、古来から、この地には水質の良い泉が湧いていました。村人がその泉を霊泉とあがめて土止めの囲いをして筒井を設けたところから、そのまま地名になったといわれます。焼け野が原となった終戦当時には、この水が周辺の人々の飲料水として提供されました。しかし、戦後復興と都市開発に関する地下工事などが進むにつれて、水質は濁り、水量も激減してしまいました。
震災の時には、まんよく水が出ており、その水をバケツで汲み上げ、神社の公衆トイレ前に並べました。水道が回復するまで、朝昼晩水汲みをつづけましたが水が切れることはありませんでした。
戦後と震災後の二度にわたって筒井の恩恵を受けたことになります。
     
  このところ山にも雨が少なく、残念ながら、この日は水が出ておらず、水汲みの体験はしてもらえませんでしたが、生徒さんたちは、筒井の中の古い構造を興味ぶかげに覗き込んでいました。
   
   2時間目の学習
  2時間目は、打って変わって舞台の話です。
古事記の中で、スサノウノミコトの横暴に怒ったアマテラスが天の岩戸に閉じこもったため世界が闇になってしまった話はよく知られています。
アマテラスに岩戸から出てもらう為に神々が企画した策は、今でいうイベントであり、アメノウズメの踊りは舞台演出の起源といえるでしょう。
   
  神社の祭における神賑わい、地域の盆踊り、最近はなくなりましたが公園での映画大会、あるいは学校での文化祭や体育祭などのイベントは、皆で共有する憩いの文化です。
このようなイベントが禁止されたり、出来ない状況が、いかに不幸なことであるかは、最近のテロ関連の取材を通じて世界中の人々が再確認したと思います。
イベントには、その中心となる舞台が付き物です。
舞台は、出場する人間も重要ですが、裏で作業する人間がいなければ実現しません。学校の文化祭でも同じです。
舞台の裏方として、どんな仕事が必要かを、生徒さんたちに尋ねてみました。台本・大道具や小道具・照明・音響・衣装・進行、その他に客席の設営や見に来てもらうための宣伝など、次々と必要な仕事が挙がりました。
残り時間は、舞台で使用する音響関係の機材で少し遊んでもらうことにしました。
   
   
  自分の声を録音し、その声で演奏するサンプラーというシンセサイザーを紹介しました。
自分たちの声が、サンプラーによって高く低く変調されるのを、ゲラゲラ笑いながら楽しんでくれました。
こういうことをしていると時間はあっという間に過ぎます。
気付くと終了予定時刻になっていました。
   
みなさん、ごくろうさん。良いレポートになることを祈っています。
   ついでに我が家の犬(名前は玉三郎といいます)も映っています